馬鹿ブス貧乏な私たちが、世界に必要とされなくなっても生きていくための処世術【佐々木ののか】
■世に認められなかったからと言って、“私”は「無用」なわけではない
世の中ではポジティブな考え方のほうが受け入れられやすい。地獄のような世を生きるうえで、少しでも前向きな気持ちでいたい人の気持ちもよくわかる。しかし、今回のコロナ危機に限らず、人生とは思い描いた未来のほとんどが叶わぬものではなかったか。
そんな予定不調和な世において、希望を無責任に握らされても困るのだ。性懲りもなく期待して、そのたびに“裏切られ”て、そこから回復するほどの力は残っていない。地に足のついた絶望にしっかり向き合うことのほうが、私にとってはリアリティがある。
そういう種類の希望を見せてくれるから、私は、藤森さんの「馬鹿ブス貧乏」シリーズが好きなのかもしれない。
最後に、私が本書で最も好きな言葉を引用させていただきたい。
「こんな人生なんて、こんな私なんて」と思っても、人間は自分自身のことを唯一の宝物だと思っている。その宝物が傷つくし苦しむから辛い。人間は、他人から「無用者階級」に分類されても、「無用者階級」ではいられない。無用者階級になってたまるか! 世界が私を必要としなくても、私自身は世界に居座る。
一般的に「馬鹿ブス貧乏」な人間は、世の中に必要とされない。なぜなら「有能」で「美人」で「金持ち」のほうが「有用」だからだ。
みんな自分に価値があると認めてもらいたくて、有能になろうとしたり、美しくなろうとしたり、お金持ちになろうとしたりする。世の中に受け入れられやすく自分を変えていくのも、ひとつの処世術だと思うから否定はしない。
しかし、世に認められなかったからと言って、“私”は「無用」なわけではない。本書は、馬鹿ブス貧乏な“私たち”が“私”を変えずに「ありのままで」生きていくための処世術を教えてくれる、やはり愛に溢れた本なのだ。
【執筆者略歴】
佐々木ののか
ライター・文筆家。「家族と性愛」をメインテーマに、インタビューやエッセイの執筆を行う。そのほか動画制作、映画・演劇のアフタートーク登壇、洋服の制作など、ジャンルを越境して自由に活動中。最新刊『愛と家族を探して』(亜紀書房)より好評発売中。